甘粛天水——陇上の江南を探る旅

天水は「陇上の小江南」と称され、古代には秦州と呼ばれていました。渭水河畔の小さな町で、古くから秦州は西へ長安に向かう重要な拠点であり、「羲皇の故郷」とも呼ばれています。秦人と秦の初期文化の発祥地であり、8000年以上の文明史と2700年以上の文化名城を持っています。

甘粛省天水市秦州区城北の天靖山の麓に位置し、別名崇寧寺と呼ばれています。山上の碧水が清澈で、清香が脳に透き通ることからこの名が付けられました。元代の秦州教諭梁公弼が寺を建てる際に「山寺北郊、名山玉泉」と詠んだことに由来します。建物は山の斜面に沿って次第に上昇し、山の谷や崖に分布しており、天水地域の道教の聖地です。
現在中国で最大規模、最も保存状態が良い伏羲庙は、古代の「三皇」の一人である伏羲氏を記念する明代の建築です。伏羲庙は街に面して建てられ、庭院が重なり合い、四進四出で広くて深いです。天水市秦城区西関伏羲路に位置しています。新しい建物は全部で76棟あります。建物全体は北を背にして南を向いています。牌坊、大門、儀門、先天殿、太極殿が縦軸に沿って順に並び、層を重ねて厳粛な雰囲気を醸し出しています。朝房と碑廊は横軸に対称に配置され、整然とした中国伝統建築の芸術スタイルを持っています。伏羲は古代の伝説上の初代帝王とされているため、この建築群は宮殿式の構造で、全国最大の伏羲祭祀建築群です。

胡氏古民居建築

天水市中心に位置する胡氏民居は、南宅と北宅という二つの街を隔てた古建築群から成り立っています。開拓者は胡来缙と胡忻で、父子共に明代の名臣であり、地元の人々から「郷親父子」と称されていました。胡氏民居は胡来缙、胡忻父子の私宅であるため、その形態は基本的に中国伝統の四合院形式に従って建てられています。伝統的な住宅は正房から中庭まで、四合院が平面レイアウトを構成しています。四合院でありながら、胡氏民居は北京の四合院とは異なります。正房もしくは厢房に関わらず、北京の四合院は鞍架式構造を採用していますが、胡氏民居では正房と倒座が鞍架式構造を採用している一方で、厢房は強い地方特色を持つ「一坡水」と呼ばれる天水民居の構造を採用しています。居住の特徴以外にも、内部には多くの居住の痕跡が見られ、当時の西北地域の大族が集まって住んでいた様子を生き生きと再現しています。
甘粛省天水市の南に位置する南郭寺は、陇右第一の名刹として知られ、木々が茂り、古い柏の木が天を突き、景色が美しく、鳥のさえずりと花の香りが漂う場所です。天水八景の一つで、「南山古柏」と呼ばれています。寺院は千年以上前に建てられ、歴代の詩人や文人が訪れた名所です。公元759年、中国唐代の大詩人杜甫が秦州(現在の天水)に滞在した際、百以上の賛美詩を残しました。その中でも「山頭南郭寺,水号北流泉。老樹空庭得,清渠一邑。秋花危石底,晚景卧鐘辺。仰望憂傷人生,溪風為飒然」は最も有名です。

浄土寺

浄土寺は別名曼殊寺とも呼ばれ、天水仙人崖景区の後山に位置しています。浄土寺は山々に囲まれ、青松が谷を満たし、山風が吹き抜け、松涛が響き渡ることから「浄土松涛」と称され、秦州の十景の一つです。70年代末に全て取り壊され、その後再建・拡張されました。浄土寺の周囲には十八の山峰があり、地元で有名な「十八羅漢山」の奇観を形成しています。羅漢峰は蓮の花びらのような形をしており、十八の緑の峰が文殊主峰に向かって集まり、「緑海宝蓮」の天造地設の奇観を示しています。峰々はそれぞれ特徴があり、あるものは麦積山に似ており、あるものは仙人崖に似ています。人々はこれを「方円千里の奇峰、尽く懐中に収め、百里景区の霊気、皆浄土に宿る」と称しています。